ケータイのおもいで
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我ながらスマホジャンキーではあると思う。
一人で飯食ってるとスマホは手放せないし、
子供が出来たとしたらそこら辺のリテラシーを上手く教えられるか不安だ。
しかしながら、『ケータイ』の時はどうだったろう。
昔も今も友達は少なく、自分からメールをしたり電話したりが大の苦手で、
その癖、寂しがりだ。
鳴らないケータイは思春期真っ盛りの時期には
寂しい自分を具現化した様な存在だったと思う。
自分には2個違いの兄貴がいて、これまた俺のコミュニケーション能力を全て
吸い取ってしまったんじゃないかと思うぐらいリア充だった。
兄貴のケータイはボロくて、当時の流行りのストラップ、友達や彼女との
プリクラが貼られまくりの携帯冥利に尽きるだろうなと感じる一品だった。
本当に羨ましかった。メールの着信音はデフォルトなのに鳴り止まず、
先端の取れたアンテナはそれでも友情や愛情を絶え間なくキャッチしていた。
ケータイからスマホになって、電話やメール以外の事が限りなく出来る様になり
寂しさを感じる事は少なくなった。
少なくなったのか、鈍感になって麻痺しているのかも知れないけれど。
そんなとりとめのないケータイの思い出。
ちなみにauで思い出深い機種はCASIO 41CAですね。
尻ポッケに入れてて液晶ぶっ壊した思い出だけど。